2014-01-03

ルネ・シャールを辿って読んだ本,「20世紀詩人の日曜日」(田村隆一著),「ルネ・シャールの言葉」(西永良成)など

 年をまたいで「我らの獲物は一滴の光」という言葉に憑りつかれている。図書館でいろいろ調べてみたところ,これはルネ・シャールの詩の一部分ではなく,アフォリズムの中の言葉(訳は飯島耕一)ということがわかった。そのことを教えてくれたのが田村隆一による「20世紀詩人の日曜日」(マガジンハウス,1992)という1冊。 
 
  田村隆一の詩はほとんど読んだことがなかったのだが(手を出せない,という感覚),編集者との対談形式で12人の詩人を語るこの本を通して,迂闊には近寄りがたいというイメージが希薄になった気がする。ルネ・シャールの章(1991年7月14日の日付)では,この詩人の二つの言葉を端緒としてヨーロッパのシュルレアリスム運動についても縦横無尽に語る。その言葉とは,「蛇の健康を祝す」と,もう一つ「我らの獲物は一滴の光」。その語り口は明晰で熱い。

 「シャールはね,『一滴の光』が獲物だって言うんだ。ぼくらの仕事なんてものは,光を,一滴の光を見つけるのであれば幸いだ。なかなかその光を得られないけれども,ぼくらは生きている限り,その光を求めていく。われらの獲物は一滴の光っていうことを,ぼくも言いたいね。言いたいんだよ。」(p164より)

 そのルネ・シャールのアフォリズムそのものを探してみた。「ルネ・シャールの言葉」(西永良成編訳,平凡社 2007)の第2章アフォリズムp,147にそれを見つける。「事後の感謝:私たちは天体の顔をした流星だ。私たちの空は覚醒,運行は狩猟,そして私たちの獲物はひとしずくの光。」なるほど文脈の中でその意味は明快になる。

 しかし,ただ一行「我らの獲物は一滴の光」,その言葉のなんとしびれることか!

2 件のコメント:

渡辺駆 さんのコメント...

「我らの獲物は一滴の光」
しびれますね。

susan さんのコメント...

コメントありがとうございます!
ほんとにしびれます。