2013-01-13

読んだ本,「書とはどういう芸術か」/「選りぬき一日一書」(石川九楊)

 白隠の書に感激して,石川九楊の「書とはどういう芸術か 筆触の美学」(中公新書 1994)を書棚から引っ張り出す。書といえば中国の書にばかり目が向いてしまい,日本の書に関しては不勉強で恥ずかしい。

 第三章「書は言葉の芸術である」では「漢字文化圏においては,文字は言葉の構造に内在的である」,「漢字文化圏では,書くという表現は文化の中枢に位置する」という論考に導かれ,書という芸術について理解を深めていくことになります。

 白隠展の会場で何気なく見ていた「墨蹟」という語の定義については,「『墨蹟』は,中国から輸入した書の『くずし』である唐様の書の,禅僧によるよりいっそうの『くずし』。『くずし』の二乗である。(略)江戸時代ともなると,『墨蹟』をさらに『くずし』たような白隠のず太い書や,慈雲のかすれの極を行くような書に行きつく」(p.146より引用)とあり,白隠の書の歴史的な位置づけがわかって目から鱗が落ちる思い。


 このあとに続く「白紙」や「余白」に関する論考もとても興味深く読みました。同じ著者の「選りぬき一日一書」(新潮文庫  2010)は,一日に一頁を当てて,中国や日本の文献から一字を選んで解説を加えたもの。白隠の「暫」を取り上げた日もあります。これは白隠展で見た「暫時不在 如同死人」の一字です。

 解説には「黒く塗り込められた字画の隙間に,僅か余白がのぞく。だが,よく見ると第一画は極端に太いが,第四画や第十四画は逆に細く,全体は不定。これは修行の果てに禅僧が距離感を相対化=失調した姿」(p.353より引用)とあります。最後の一文が謎めいていて,難しい宿題を与えられたよう。

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